渋江優・頼夫
渋江優・頼夫栃木県大田原市

遥か那須連山を望む
栃木県北東部に位置する大田原市。各地から桜の便りも聞こえる3月下旬に渋江さん一家を訪ねた。
遥か望む那須連山は雪帽子をかぶっており、桜こそ咲いていないが、圃場の傍らでは紅梅・白梅が陽光の中で咲き誇っている。庭先では家族総出で苗作りの真っ最中、栃木が生んだ新品種「なすひかり」の種籾がその出番を待っていた。この辺りではゴールデンウィーク頃に田植えの全盛期となる。良い米を作るには良い苗が欠かせない。「苗半生」と言われる程、健やかで元気な苗が出来るか否かが米の出来・不出来に直結するのだ。

江戸幕府の「天領地米」の歴史
ここ大田原市親園は江戸幕府との縁が深い。享和3年(1803年)に江戸幕府の直轄領になる等、米どころとして江戸幕府の台所を支えた。歴代の将軍様もここ親園で取れた良食味の「天領地米」を口に運んでいただろう。
一帯に圃場が広がるが、その圃場の多くは不整形で個性的な形をしている。古くから耕された圃場が昔ながらの形を残しているためだ。
また那須連山から流れる伏流水が圃場を潤しているのも、ここ親園の米づくりの特徴のひとつ。名峰の雪解け水が地層深くゆっくりゆっくりと流れて、ここ親園にたどり着く。清らかで冷たい水が今も変わらず圃場に恵みを与えているのだ。

「おいしい」の一言が何よりの励み
父・優さんは昭和12年生まれ。今も現役の専業農家だ。
自分の作った米を「おいしいね」と言ってもらえることが何よりの喜びと話す。それ以上でもそれ以下でもない、掛け値無しの言葉だ。その思いは「天領地米」の歴史と共に、昭和41年生まれの息子・頼夫さんへと受け継がれ、歴史を紡いでいく。